海外駐在して以来、日本でJリーグを見れるチャンスがあればJリーグを見るようになった。海外にいると日本の良さが見えるといいますが、ベトナムではプロリーグはあるのですが全くと言っていいほど盛り上がっていないので、日本で毎週プロリーグをやっていることがとてもよくみえ、そのせいもあり、日本に帰ればJリーグを見るようになりました。
ということで、日本にいる今日、雨と風が吹き荒れるなか、ポンチョを纏いながら横浜マリノスと京都パープルサンガの試合を観戦しに行きました。
マリノスは現在、最下位に近い危機的な順位。監督も先日交代したばかりで、ここ数試合勝ちがない。今日負ければ最下位も見えてくる——そんな厳しい現実が横たわっていました。
心に響いた「民衆の歌」
試合開始前、スタジアムに「民衆の歌」が流れた瞬間、私の胸に何かが走った。
戦う者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムと響きあえば
新たに熱い命が始まる
明日がきたとき そうさ明日が
この歌が流れる間、思いがけず目頭が熱くなった。これまで試合観戦で涙が出るような経験はなかったのに。
なぜだろう?
考えてみれば答えは自分の過去にあった。
苦境の連続だった青春時代
高校サッカー時代、私たちのチームは常に守備戦術で耐え忍ぶスタイルだった。技術的に優れた相手に対して、ただただ守り抜く苦境の連続。
大学に入っても状況は変わらず、対戦相手は高校サッカー選手権に出場していたような強豪ばかり。ここでも守備を固め、耐え忍ぶ日々が続いた。
でも、その経験から私は大切なことを学んだ。
「逆境で耐えていき勝利すること」
体が覚えていた記憶
今日、マリノスの応援歌を聞きながら、私の体は過去の苦難を思い出したのかもしれない。歌詞の中の「戦う者の歌」「明日がきたとき」という言葉が、かつての自分に重なった。
列に入れよ われらの味方に
砦のむこうに世界がある
戦え それが自由への道
結局、この日のマリノスは0-3で敗れた。試合後の選手をみるのもこちらがつらいくらい。サッカーって、不思議なもので、負けだすと自分たちのやり方に自信がなくなっていき、それがプレーにも表れる。
今日の試合だって、1点目は相手のハンドか?みたいなシーンもあったし、3点目はバーにあたったのが相手選手にちょうどうまいぐあいにかえったりと、うまくいっていないときはなぜか相手にうまくいくように試合が進む。
しかし、私は知っている。
一番苦しいところが復活のスタート地点だということを。
だから、わたしはマリノスを引き続き応援するしあきらめないでほしい。J2にまだ降格したことのないチームの一つとして!
仕事も、サッカーも、人生も
実は今、海外関係の仕事でも様々な困難に直面している。私の仕事は、まさにサッカーの試合のように刻々と状況が変化し、その都度迅速な判断が求められる世界だ。
海外のビジネスシーンでは、文化の違い、時差、予期せぬ政治情勢の変化など、コントロールできない要素が次々と現れる。マリノスの選手たちが雨の中、相手の攻撃に対して瞬時に判断し対応していくように、私も日々変わる状況に適応しながら前に進んでいかなければならない。
けれど、マリノスの状況と自分の過去を重ね合わせることで、あらためて気づかされた。サッカーも海外の仕事も、逆境に立ったときにこそ真価が問われるのだ。
どんな苦境も、いずれ終わりを迎える。そして、その先には必ず新しい未来が待っている。
「民衆の歌」の最後の一節が、今の私の心境を表している。
戦う者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムと響きあえば
新たに熱い命が始まる
明日がきたとき そうさ明日が
今は苦しくとも、マリノスとともに、私自身も復活していきたい。なぜなら、私は知っている
——逆境を耐え抜いた先に、勝利があることを。
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