書評

【徳川家康:天下泰平の礎を築いた不屈の男】その生涯と知られざる素顔に迫る!

【もしも徳川家康が総理大臣になったら】という本を読んでみました 読んでみた と言っても最近は私の場合は Audible で聞きながら読むわけですが それよりもかなりのめり込みました。

簡単にあらすじを言えば過去の戦国武将などがAI によって復活されてそれがコロナによってお亡くなりになってしまった総理大臣に代わって内閣を作り上げ豊臣秀吉、織田信長そして徳川家康と言ったものすごいメンツで内閣を作り上げるという物語です。

ありえるかもな、と思って読んでしまいましたが本の内容については皆様それぞれ読んでいただきたいとして私がちょっとこれをきっかけに気になったのが徳川家康という人物です。

私はもともと大阪にゆかりがあるので豊臣秀吉が好きという人間だったのですが今回のこの本を読んでみてどこが家康という人物にも興味は湧きました。徳川家康を表す言葉として、「鳴かぬなら鳴く迄まとうホトトギス」とはいったものがありますが、しればしるほど、なるほどと思われました。

というのが豊臣秀吉などとは違って、徳川家康というのは幼少の頃人質として今川家にとらえられてたんですね。19歳になるまでずっと捉えられてたんで過ごしたにもかかわらず、その後、天下を治めた、というところがとてもすごいことだと感じるのです。普通の人間なら、とらえられている時点で、くすぶって嫌になってしまいそうです。

現代で例えるなら、親元から引きはがされ、どこかの知らないおばちゃんの家で育てられるようなものです。親戚ならともかく、まわりは敵ばかりなのですから、そういった意味では相当心労があったと思います。

徳川家康が人質となったのは6歳(1548年)の時で、解放されたのは19歳(1561年)の時でした。つまり、人質としての期間は約13年間続きました。

具体的な経緯は以下の通りです:

  1. 6歳(1548年): 父・松平広忠が暗殺された後、今川義元の人質として駿府(現在の静岡市)に送られる。
  2. 9歳(1551年): 一時的に松平家に戻されるが、すぐに再び今川家の人質となる。
  3. 15歳(1557年): 今川義元から三河一国を与えられ、岡崎城主となるが、依然として今川家の影響下にあった。
  4. 18歳(1560年): 桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れて死亡。これにより、今川家の力が大きく低下する。
  5. 19歳(1561年): この機に乗じて今川家からの独立を図り、織田信長と同盟を結ぶ。これにより、実質的に人質状態から解放される。

私自身この辺のことはあまりよく知らなかったのですがよくよく調べてみると6歳から19歳に至るまで約13年間も人質として過ごしたというこんな経歴を持つ僕の家康は天下を収めたということは不思議といえば不思議ですがもしかしたらこの13年間で耐え忍んでいろいろなことを考えたこともその後の天下を収めるということにいい影響を与えたのかもしれません。

また興味深かったのは家康のお父さんである松平広忠が暗殺されたことに加え、実はそのさらにお父さんであるつまり徳川家康のおじいさんも暗殺されていたということです。自分の親そして祖父が2代続いて人の怒りを買って暗殺されたということを徳川家康は頭においていろいろ考えたようです。

家康はもともと、すぐ怒りを暴発させるような血筋があったのです。だけどそれが原因で失敗してる親そして祖父を知っていたので自制しなければならないということを見守って感じていたのです。

これに加えて幼少から耐え忍ぶという経験を13年間もしてきたこともあり、そのことが安易に自分の感情に任せて怒るようなことはなく、また最終的には戦争ではなく平和の世の中を目指していこうということになったのだと思われます。

世界で250年近く、戦争のなかった国は日本の江戸時代くらいだといわれてます。

そのような天下泰平の町をつくりあげたのは、幼少から苦労してきた徳川家康だったということなのです。現代でも苦労してきている人はたくさんいると思いますし、私自身、海外で仕事をするにあたってはたくさんの苦労がありました。

だけど、そうした苦労を知っている人はおそらくそれを糧にいい仕事をできるのだと思います。苦労とは、苦しい労働と書きますが、苦しい思いをするときこそ、たくさんのことを考え、対処する方法をうみだし、解決していくわけですから、若いころは【苦労は買ってでもしなさい】といわれた記憶もありますが、この徳川家康の生い立ちとその後の成功は、苦労とは、その後の成功を生み出すための布石になりうるということを指示してくれているものと思います。

しかし、人質生活13年って、たぶんなかなかいないですよね。

だから、人とは違ったことを成し遂げたのでしょう。

さて、歴史好きの皆さん、こんにちは!ここからは、戦国時代の荒波を乗り越え、江戸幕府を開いた英傑、徳川家康について深掘りしていきます。歴史の教科書で名前は知っていても、その生涯や人物像について詳しく知る機会は意外と少ないのではないでしょうか?

この記事では、家康の波乱万丈な人生を紐解きながら、天下人へと登り詰めた彼の強さの秘密、そして意外な素顔に迫ります。最後まで読めば、あなたも家康の魅力に引き込まれること間違いなしです!

幼少期〜青年期:試練が生んだ不屈の精神

徳川家康は、1543年に三河国(現在の愛知県東部)の岡崎城主、松平広忠の嫡男として生まれました。幼名は竹千代。しかし、家康の幼少期は、まさに試練の連続でした。

当時、松平家は、西の織田家と東の今川家という強大な勢力に挟まれた弱小勢力。6歳の時、父・広忠が家臣に殺害され後ろ盾を失うと、家康(竹千代)は今川家の人質となります。今川義元のもとで約12年間を過ごしますが、その生活は自由とは程遠いものでした。しかし、家康は、この苦境を耐え忍び、いつか必ずや天下を取るという野望を胸に、人としての器を磨き続けるのです。

皆さんは、幼少期にこのような過酷な経験をしたことがありますか? 現代とは比較にならないほどの逆境の中、人質でありながらも文武を学び、強い精神力を育んだ家康。その不屈の精神は、この幼少期から青年期の経験によって培われたと言えるでしょう。まさに「艱難汝を玉にす」を地で行くエピソードです。

青年期〜壮年期:雌伏の時と天下取りへの布石

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、家康は今川家から独立し、岡崎城へ戻ります。その後、信長と同盟を結び、勢力を拡大。この同盟は、家康の人生において大きな転機となりました。信長という強力な後ろ盾を得た家康は、着実に領土を広げ、戦国大名としての地位を確立していきます。

信長との同盟関係は、常に信長が優位なものでした。理不尽な要求をされることもありましたが、家康は信長に対して恭順な姿勢を貫き通します。しかし、**「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」**と詠まれるように、その胸の裡には、耐え忍び、好機を待つという不屈の精神がありました。その間も武田信玄や上杉謙信といった、名だたる武将たちとの戦いを潜り抜けながら、家康は虎視眈々と天下を狙っていたのです。

1582年、本能寺の変で信長が倒れると、家康は「神君伊賀越え」と称される決死行で領国に戻り、空白地帯となった甲斐・信濃を平定。その後、信長の後継者を自負する羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と対立しますが、小牧・長久手の戦いを経て臣従します。秀吉の天下統一後は、五大老筆頭として豊臣政権を支える立場となりますが、秀吉の死後、天下取りへの野望を再燃させます。

信長、秀吉という二人の天下人のもとで力を蓄え、雌伏の時を過ごした家康。皆さんは、こんなにも長い間、耐え忍ぶことができるでしょうか?家康の生涯で最も脂の乗ったこの時期は、彼の忍耐力と戦略家としての一面が垣間見える、非常に興味深い時代です。

壮年期〜晩年:天下泰平の世を築く

1600年、関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍を破った家康は、名実ともに天下人となります。この戦いは、日本の歴史を大きく変えた、まさに天下分け目の決戦でした。そして1603年、征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きます。

家康は、戦乱のない平和な世を築くために、様々な政策を実行しました。武家諸法度禁中並公家諸法度を制定して大名や朝廷を統制し、幕府を中心とした支配体制を確立。また、貨幣制度の統一五街道の整備など、経済の発展にも力を注ぎました。これらの政策は、約260年続く江戸時代の礎となったのです。

さらに家康は、外交にも力を入れ、イギリスやオランダとの貿易を開始。国際的な視野を持った政治家であったことがうかがえます。

晩年は健康オタクとしても知られ、70歳を過ぎても鷹狩りに出かけるほど活動的でした。1616年に75歳で亡くなるまで、天下泰平の世を築くために尽力し続けたのです。

徳川家康から学ぶ:現代にも通じるリーダーシップ

徳川家康の生涯は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。彼のリーダーシップは、ビジネスや組織運営においても大いに参考になるでしょう。

  • 長期的な視点を持つ: 家康は、常に天下統一という長期的な目標を見据えて行動していました。目先の利益にとらわれず、将来を見据えた戦略を立てることの重要性を教えてくれます。
  • 忍耐強く好機を待つ: 雌伏の時を経て、好機を逃さずに行動した家康。ビジネスにおいても、焦らずに力を蓄え、チャンスを待つことが重要な場面は多くあるでしょう。
  • 人心掌握術: 家康は、敵対した武将でさえも、その能力を認め、積極的に登用しました。人材を適材適所に配置し、その能力を最大限に引き出すことは、組織を成功に導く鍵となります。
  • 健康管理: 晩年まで活動的だった家康は、健康管理にも気を配っていました。心身ともに健康であることは、良い仕事をするための基本です。

徳川家康ゆかりの地を巡る

静岡県には、家康が幼少期を過ごした駿府城跡(現・駿府城公園)や、家康を祀る久能山東照宮など、家康ゆかりの地が数多くあります。これらの場所を訪れれば、家康の生きた時代に思いを馳せることができるでしょう。

  • 駿府城公園: 家康が幼少期と晩年を過ごした場所。現在は公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
  • 久能山東照宮: 家康の遺骸が最初に埋葬された場所。後に日光東照宮に改葬されましたが、今でも多くの参拝客が訪れます。
  • 浜松城: 家康が29歳から45歳まで過ごした城。出世城とも呼ばれ、若き日の家康の息吹を感じることができます。

まとめ:不屈の精神で天下を掴んだ男

徳川家康は、幾多の試練を乗り越え、天下泰平の世を築いた偉人です。彼の生涯は、現代を生きる私たちにも多くの教訓を与えてくれます。この記事をきっかけに、皆さんも徳川家康の魅力に触れ、その生き方から何かを学び取っていただければ幸いです。

[外国人向け] 徳川家康を英語で説明してみよう!

Here's an example of how you can explain Tokugawa Ieyasu to foreign tourists in English:

Introducing Tokugawa Ieyasu to Foreign Tourists

"Let me introduce you to Tokugawa Ieyasu, one of the most significant figures in Japanese history. He was a powerful daimyo (feudal lord) and a skilled military leader who lived from 1543 to 1616.

Ieyasu's life was full of challenges. He became a hostage of a rival clan during his childhood, but he used this time to learn and grow stronger. He was known for his patience, often expressed through the famous proverb, 'If the cuckoo does not sing, wait for it to sing,' which reflects his strategic thinking.

He allied with Oda Nobunaga, another powerful lord, and later served under Toyotomi Hideyoshi, two other important figures who helped unify Japan. After Hideyoshi's death, Ieyasu strategically maneuvered his way to power, culminating in his victory at the Battle of Sekigahara in 1600. This pivotal battle marked the beginning of his ultimate rule over Japan.

In 1603, Ieyasu established the Tokugawa Shogunate, a military government that brought about a remarkable period of peace and stability known as the Edo period. This era lasted for over 260 years!

Ieyasu implemented various policies to maintain peace, such as the Sankin-kotai system, which required regional lords to spend alternate years in Edo (present-day Tokyo). This system helped centralize power and prevent rebellions.

Tokugawa Ieyasu is remembered as a brilliant strategist, a patient leader, and the founder of a dynasty that shaped Japan for centuries. He's a key figure to understanding Japanese history and culture. You can see reminders of his legacy all over Japan, especially in places like Shizuoka, Nikko, and Hamamatsu, where he spent significant parts of his life. His life is a fascinating story of perseverance, strategy, and ultimately, unification."

Key terms to explain further if needed:

  • Daimyo (大名): Feudal lords who controlled territories during Japan's pre-modern era.
  • Shogunate (幕府 - Bakufu): A military government ruled by a shogun.
  • Shogun (将軍): The supreme military leader, effectively the ruler of Japan during the shogunate periods.
  • Edo period (江戸時代 - Edo Jidai): The period from 1603 to 1868, characterized by peace, economic growth, and a strict social hierarchy.
  • Sankin-kotai (参勤交代): A system requiring daimyo to alternate their residence between their own domain and the shogun's capital in Edo.

This explanation provides a concise overview of Tokugawa Ieyasu's life and accomplishments, making it suitable for introducing him to foreign tourists. Remember to adjust your language and level of detail based on your audience's prior knowledge of Japanese history.

もしも徳川家康が内閣総理大臣になったら

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