■駿府城でオランダの大学からの留学生に出会う
「徳川家康が内閣総理大臣になったら」を見たついでに、徳川家康が幼少時代、6歳から19歳まで過ごしたとされる駿府城に興味がわき、日本への帰国したついでに日帰りで行ってみました。
行ってみると、平日ということと台風が近づいていたので観光客は皆無でおかげでじっくりと駿府城を満喫することができました。途中で、ルーマニアからきているという留学生に出会ったのも驚きでした。かれは、ルーマニアから、オランダに留学していて、さらに、オランダから、6か月間名古屋の大学に留学しているとのこと。
江戸時代の1600年からオランダとの関係ははじまります。その後、鎖国のはじまった1635年以降も、長崎の出島でオランダだけが日本との貿易を行っていたことを考えると、この留学生にもそのDNAが残っていて日本に興味をもったのかな?と想像しました。いつの時代もこのような方はいるものです。
■駿府城はなぜなくなった?
駿府城って天守閣はもともとあったのですが、城下町で火事があった際にそれが飛び火して、焼けてなくなってしまったのです。駿府城ができたのが1589年(天正17年)ですが、その後5人の城主を経て、1635年に火災で駿府城の天守閣を焼失します。
1.徳川家康(江戸を任される前の時期)1586年-
2.中村一氏(豊臣系の大名)1590年-
3.内藤信成(徳川家康の異母弟)1601年-
4.徳川家康(徳川秀忠に将軍職を譲り、ここで大御所として活躍)1608年-
5.徳川頼宣(徳川家康の10男)1609年-
6.徳川忠長(徳川家康の孫=素行が悪かった)
ここで、1635年の焼失後に天守閣が復元されていなかった理由がなるほどなのですが、「天下泰平の世の中になって、周りに威厳をみせるための天守が不要となった。」とのこと。これは、駿府城のなかの説明書きや、駿府城の目の前の歴史博物館にも記載があり、なるほどと思いました。
現在は、観光のために、一部分、復活させていますが、天守閣はあまり情報が残されていなく、現在もなお調査中のようです。静岡の地って、江戸時代の駿府という名前であるころは外国の要人が徳川家康を皇帝(エンペラー)と呼び訪問したとのこと。駿府城の裏には富士山が控えていてとても優美に見えたことも、その皇帝ぶりに拍車をかけたのかもしれません。静岡の観光地化のためにも、天守閣の復活を願います。
■駿府城のアクセス
駿府城は思いのほか、便利な場所にあります。はじめは、静岡駅からバスに乗ろうと考えたのですが、駅前の徳川家康の像などをみていたら、地下道があることがわかり、その地下道をとおっていくと、雨にもぬれず、駿府城公園の方角へ歩いていけるので台風が近づいていたのですが、それほど濡れることなく行くことができました。
ちなみに、地下道がおわったあとも、少しの区間、アーケードがあるのでそのあたりも濡れることなくいけます。アーケードが終わるあたりで、右にまがり、少し行くと、駿府城の歴史博物館、そして駿府城が見えてきます。
■駿府城の観光所はどのくらいの時間がかかりますか?
駿府城の内部でみどころとなるのは3か所。
・東御門・巽櫓(ひがしごもん・たつみやぐら)
・坤櫓(ひつじさるやぐら)
・紅葉山庭園
わたしは、じっくりみたので、東御門・巽櫓で2時間近くかかってしまいました。
それくらいボリュームもありますし、徳川家康に興味のある方なら、おもしろく展示を見ることが可能です。
しょせん、やぐらだしなぁ。。。とおもって行きましたが、実際中身はとても充実した展示物でとても良かったです。あえて言うと、前出のルーマニアの方にとっては、英語併記されている展示がたまになかったので、もう少し英語併記してあげると、外国人にもうけるのではないかと思います。
徳川家康は、世界でもまれな250年戦いのなかった世の中をつくった人間です。そうした方の生まれ育ちから、外国の方にもわかるような英語併記がもう少し多いとよりいいと思います。東御門・巽櫓では、最後のほうに、徳川家康が竹千代と呼ばれていた時代に、学問をしていた部屋が展示されているのですが、ここは、全く英語併記がなかったので、こここそ、将来的には、もうすこし英語併記の説明があるとよいと思います。
徳川家康が徳川家康たる所以は、やはり幼少のころの人質生活。そしてその時代に培った勉強があると考えます。だからこそ、その背景を外国の方にも分かるようにしておくと、駿府城、徳川家康の魅力がより伝わるでしょう。
さて、そんなことを考えながら鑑賞していたら、約2時間。そのあとは、紅葉山庭園は、ちょっと飛ばし気味で、10分。そしてそのあとの坤櫓は、これまた展示がなかなかよかったので、30分近く見てしまいました。はじめに、2つの動画を見れる場所があるのですが、その動画もわかりやすく、おすすめです。
なお、上記の3つの見どころとは別に、現在天守閣あたりの発掘工事がおこなわれているのですが、初期、天正時代の石積みと少し時代がたったあとの慶長時代の石積みがみることができ、その違いをまのあたりにすると、それはそれでなかなか見ごたえがあります。また、天守閣はないですが、想像するだけでも、なんだか楽しめます。ちなみに私の行った日は、富士山も見えなかったので、天守閣と富士山を想像しながら、思いをはせます。
駿府城と合わせていっておきたい歴史博物館
駿府城を訪れたらあわせていっておきたいのがこの歴史博物館。わたしは、結局ここも2時間近くかけてみてしまいました。駿府城の展示でまなんだことをあらためて、この歴史博物館でよ~く復習することが可能です。
映像も駆使していて、レイアウトや説明書きも結構わかりやすかったです。外国の方もこちらの歴史博物館はそれほど苦労せずに鑑賞できるような気がしました。ベトナムで結構観光地にいっては、英語の説明書きを読んでいたので、駿府城にかぎりませんが、日本国全体が、海外の観光に適応した展示になっていくことが、日本の文化をより深く理解する一歩になり、ひいては、世界の平和にもつながるきがしますのでぜひ、英語の説明というのは、日本各地で展開していってほしいと思います。
なんなら、ボランティアで翻訳を手伝ってもいいなぁ
と思ったくらいです。ちなみに、いまどきは機械翻訳もかなり精度がいいので、機械翻訳、つまりGoogle翻訳などで翻訳して人の目で一度みたらそれを採用するくらいでよいと思います。つい、こうした観光地の仕事は、役所仕事的に念には念を入れて、間違えのないように、と慎重になってしまいがちだとおもうのですが、ベトナム3年の駐在で感じたのは、多少のまちがえはあまり気にしなくてよく、それよりも、今回の事例でいけば、英語の説明の併記がないこと自体がもったいないと感じます。
いま、外国の観光客が増えたといわれていますが、ベトナムなどをみていると私はまだまだだと思います。もっと日本の良さを世界にしってもらうことは、重要です。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
これは世界の皆が頭におくべきことです。ぜひ、天下泰平の世をきづいた徳川家康を世界に知ってほしいです。 最近、外国にはいいところがあるなと感じていた時代から、一周まわって日本の良さに気づき始めています。