■枯葉剤に関してベトナム戦争博物館であらためて知る
今回、ホーチミンに足を延ばす機会があったので、今まで行ったことがなかったベトナム戦争博物館に行ってみました。2年ほど前にホーチミンにいったときは、1900年ごろにハノイ大聖堂と同時期に建てられたというサイゴン大聖堂やら、19世紀にたてられたというサイゴン中央郵便局、そして、1975年に北ベトナムが戦車で突入したというIndependence Palace といったところをまわっていたら行く時間がなくなってしまっていたのでした。
なぜ今回、行こうと思ったのかというと、ホーチミンに旅行にいったあと日本の方と話していたときだと思いましたが、ホーチミンの戦争博物館に行った話を聞き、博物館が他のダナンなどの博物館より「えげつない」「ひどい」という感想をきいていてそれをずっと覚えていたからです。
■知らなかったベトナム戦争の枯葉剤の事実
今回、行ってみて良かったのは、ダナン博物館やハノイ博物館では1850年ごろからのフランスによる支配、そしてそのあとの対仏戦争、ベトナム戦争という点での展示がおおかったのですが、今回のホーチミン戦争博物館は、50%は言い過ぎかもしれませんが、かなりの展示面積を枯葉剤の展示に埋めていてわたしなりに枯葉剤についての知識や事実が深まった点です。
先日、日本からの知り合いが来た時に、「ベトナムの博物館などけっこういっているけど、枯葉剤に関しての情報は少ない気がする」ということを話して、日本の方がベトナムにこられたときは自分なりに学んだベトナムの歴史を語るようにしているのですが、枯葉剤については知識も乏しかったので、あまり語ってこられませんでした。
それが、今回ホーチミンの戦争博物館では展示も多く、やはり枯葉剤というのはベトナムにおいてかなりの後遺症を残しており、こうしたことは、世界がしっておかねばならないことだともおもいますので、今日学んだ知識、そしてそれに付随して学んだ「ベトナムの枯葉剤」に関してまとめておきます。
■ベトナム戦争の枯葉剤の当初の目的
枯葉剤は、ベトナム戦争時に南ベトナムを援助していたアメリカ軍がジャングルにまいたものです。当時、共産主義勢力が援助していた北ベトナムの南ベトナム解放戦線の兵士がジャングルに隠れていて、対抗するのが難しかったためです。
ジャングルのなかに隠れることができないように、そして木々を枯らすこと、そしてさらには食料等が手に入らなくなるようにする、ということも目的でした。
ふたを開けてみると枯葉剤のなかに強い毒性を含むダイオキシンが含まれていたために、ジャングルをからし、食料を確保できなくしただけでなく、日本ではよく知られたベトちゃん、ドクちゃんに代表される奇形児がうまれるような影響をあたえたのです。
■ベトナム戦争の枯葉剤のまかれた量
枯葉剤は、毒性のつよいダイオキシンを含んでおりそれがいまも胎児などへの影響をあたえています。また、世代をこえて影響をあたえることもあり、おじいちゃん、おばあちゃんが、枯葉剤の影響をうけていたために、いま、影響がでるということもあるのです。
この枯葉剤は南ベトナムのジャングルや穀倉地帯の約20%にたいして10万トン以上散布されました。800倍の8000万トンまかれたという情報もあります。飛行機の両翼にセットされた散布管より大量にまかれていたのです。
映像でみると、この大きなジャングルにこの程度の散布でそれほど影響があったのか?とはじめは感じたのですが、枯葉剤により木々が枯れることよりも、その枯葉剤に含まれるダイオキシンを含んだ食物をたべたり、川に流れ込んだ毒素を身体に持った魚などをたべることにより、被害が甚大になったのです。
当時はベトナムに対しても味方に対しても「人畜無害」な枯葉剤、と喧伝していたようです。そのことがなくても、現地の住民は毒で侵された食べ物を食べざるを得なかったとは思いますが、結果的には敵にも味方にも多くの被害者を出す結果となったのです。
日本では水俣病などが河川汚染による公害としてありました。河川が汚染され、そこに住んでいた魚を食べていた住人が毒で侵されたという形でした。このような公害に近い形であったと考えます。
■ベトナム戦争での枯葉剤10万トンとは?
枯葉剤を10万トンまいた、となっていますがどれくらいの量なのでしょうか。戦争博物館でみた映像ではドラム缶のようなものをジャングルに直接おとしているような映像もありました。
ドラム缶は200リットル、つまり200㎏程度の量があります。1缶、0.2tということです。計算すると10万トンとはドラム缶で50万個分ということです。小学校によくあるプールが、25mx10mx1.2m程度ですから、水の量に換算すると300m3、つまり、300トン。10万トン÷300トン=333ですから、小学校のプール333個分がジャングルにまかれたのです。
ちなみに、800倍の8000万リットルまかれたという情報もあるので、それが正解だとすると、800x333=266,400個分がまかれたことになります。現在日本の小学校は2万校程度ですので、各学校のプールを13回満杯にしてまいた計算になります。
どの数量が正解かは、戦時中のことでもあり正解の数字は何なのかはわかりませんが、とにかく莫大な量の薬品がまかれたことは確かなのです。
■ベトナム戦争の Agent Orange (枯葉剤)の製造会社は?
Agent Orange (枯葉剤)の製造会社は、アメリカの「ダウ・ケミカル社」(Dow chemical)をはじめとする14社です。
戦争博物館でいろいろ展示物を読んでいると「Agent Orange」という言葉に出くわします。この「Agent Orange」こそ、枯葉剤のことです。この枯葉剤を収納したコンテナの側面の帯の色がオレンジだったために、「Agent Orange」とつけられたのです。
アメリカ軍は、そのほかに「Agent Blue」「Agent White」といった他の種類の除草剤も使用していたのでこれと区別するためにこのような名前がついたとのこと。
枯葉剤はベトナム人だけでなく、戦争を行っていたアメリカ人にも影響を与えています。「ダウ・ケミカル社」などは、アメリカ人に対しては保証を行っています。一方でベトナム人に対しては保証を行っていません。それをどうこういう資格はわたしにはありませんが、ただ一つ言えるのは、「戦争は何も生まない」ということです。
■ベトナム戦争の枯葉剤とダイオキシン
枯葉剤には、「2,4,5-T」(正式名称:「2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸」)という原料があり、製造時に高濃度のダイオキシンが不純物として混入していました。当時はその毒性が認識されていなかったため、ベトナム戦争において、1961年から約10年間使い続けられ、1970年に使用禁止となりました。
この枯葉剤は、日本でも毒性が認識される前は使用されており、ベトナム戦争でその毒性が判明するにつれて、使用が避けられるようになった過去もあります。当時、技術的には処理できなかったので地中に埋設するという形をとったようです。
参考==> NHKサイト
■ベトナム戦争・枯葉剤の出撃拠点であったダナン空港
わたしはダナンに2年近く住んでいたのですがこの事実を知りませんでした。枯葉剤はダナン空港にあった南ベトナム最大のアメリカ軍基地で積み込まれていました。
戦後37年たった、2012年、つまり今から10年前くらいにやっと除染活動がはじまったのです。ただ、戦後、住民たちはよくしらずに、近くの池でとった魚をとったり野菜を植えて食べたりとしていたのです。
ダナンはいまベトナムのハワイとまで言われ発展が著しいですが、こうした負の側面もしっかりフォローしていかないといけないのだと感じます。